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斜め45度からの理説

どこにも転がっていない理論や方法論を語ります。

与沢翼氏の破産を知り「ほれ、見たことか」と思うのは案外正しい

インターネット ビジネス

与沢翼氏が破産した。
このニュースは瞬く間にSNSで拡散され、一夜にして誰もが知る事実となった。ネットのみで周知される拡散のあり様は、いかに彼がネット上の寵児だったかを伺えさせる。

このニュースの反応は2つに分かれているように見える。

1、破産を知り、それでも彼を応援する人。
2、「ほれ、見たことか」と、彼を蔑む人。

あなたは、どちらだろうか。

では、私の立ち位置を述べておこう。
私は2に属する。ただ、少し補足をさせてほしい。実は私は、与沢氏に好感を持っている。彼は見た通り、成金を演出しており、品性があるようには思えない。普通なら私も「なんだ、この成金デブは」と思うところだが、彼が身に纏っている独特の愛らしいキャラがそうさせないのだ。憎めないキャラと言えば分かりやすいかもしれない。愛らしいキャラクターと成金デブが相まって、私の中で彼は「愛すべき成金デブ」という立ち位置にいる。なんだか馬鹿にしているように聞こえるかもしれないが、別に馬鹿にしているわけではない。本当に愛らしいキャラに思っているし、破産した今でも多くの支持を集めているのは、このキャラクターのお陰だと思っている。

だから、私が言う「ほれ、見たことか」は、彼を忌み嫌って出た言葉ではない。ただ、好感が持てるかどうかと、事業で成功するかどうかはベクトルが違う。その違うベクトルから見て、彼は近い将来失敗することが目に見えていた。「ほれ、見たことか」は、そこから出てきた言葉なのだ。

 

 

「ほれ、見たことか」と思う3つの理由

与沢氏を応援する人たちは、彼の失敗を見て蔑む人たちに対して、「嫉妬」「やっかみ」「行動も成功もしていない癖に」と言う。確かに、妬みややっかみだけで蔑む人もいるだろう。だが、大事なことなので言っておきたい。それだけではないよ、と。

私は幾人もの経営者と繋がりを持っている。彼らは私より成功しているし、収入もあるだろう。もし、彼らが事業で失敗したら、私は与沢氏の時と同じように「ほれ、見たことか」と思うかと言えば、そんなことはない。繋がりのない経営者であっても同様だ。では、与沢氏に芽生えて、他の経営者には芽生えない「ほれ、みたことか」の言葉はどこから来るのか。この差異が分からずに、蔑む人を単純に「嫉妬ややっかみ」で括ってしまっては、その本質を見失う。

なぜ与沢氏が「ほれ、見たことか」と嘲笑されるのか。
私なりの答えを3つ用意した。その3つとは、

1、典型的な失敗パターン
2、美徳意識
3、人を見抜く眼力

では、一つずつ解説していこう。

 

 

1.典型的な失敗パターン

成り上がると、贅沢三昧な生活を送るようになる。こうなると、大概の経営者は道を踏み誤る。与沢氏の場合、高級品で身を包むのはある種のブランディングだと考えていたようだが、今回の件を鑑みるに度が過ぎてしまったようだ。

私は6年前に、経営コンサルタントの竹田陽一先生に2時間ほどインタビューをしたことがある。竹田先生は、企業調査会社の東京商工リサーチで中小企業の信用調査と倒産会社の取材を16年間担当し、その後、経営コンサルタントとなった。経営の酸いも甘い熟知している方だ。
竹田先生のインタビュー内容がとても参考になるので、一部引用したい。

私:事業が成功したのに、その成功を手放してしまう経営者がいますが、原因はなんでしょうか?

竹田先生:経営の原則があるじゃない。それはルールであって、好き嫌いは関係ないのよ。株式会社や有限会社が手足持っていて自分で運営するんじゃなくて、社長っていう人間が運営するわけよ。この人間が欲が深いわけよ。労せずして何かしようとする。それから、有名になりたいという、名誉欲求と、金銭的欲求。だから、業績がいったん良くなってある程度のとこまできて失敗するのは、有名になりたいということで、地方だったら、東京に行ってちょっとした事務所を構えると有名になったように思えるでしょ。それから、別に事業内容から自社ビルは要らないのに、自社ビル建てたら、本人から見たら、有名になったように思えるでしょ。本業以外に手を出して、M&Aでいろんな会社を買っているというのは、いかにも才能があるように見えるでしょ。これが失敗ね。社長個人の欲求と、会社として、企業体として、守るべきルールとがあるわけよね。社長の個人の欲求が強くなると、ルールが絶対見失われていくわけよね。

 

私:飲食店とかテレビ出たらほとんど潰れるという話もありますよね。飲食店じゃなくても中小企業でもそうだと思いますけど。

竹田先生:みんなそうよ。おだてられると、本業忘れて、何もせんでも儲かると思うからね。戦略の勉強をしなくなる。経営戦略なんて終着点がないんだからね。社長である限り続けていかにゃいけんのよ、勉強をね。終わりはない。だって世の中変わるからね。
(中略)
それやっぱり、従業員をばかにしたり、仕入れ先をばかにする人じゃないかね。金を持ったら偉いと思うことね、そりゃ金も大事だけど。やっぱり人柄よね。

ロールスロイスって5000万円も一億円も平気でするのよね。これはロールスロイスという車がすごいのであって、これに乗ってる社長は別に全然関係ないじゃない? ロールスロイスに乗ったら、社長を構成している物質、細胞が変わるかといったら、変わらんよ、これ。変わらないじゃない、社長の細胞は。ロールスロイス乗ったら、自分の細胞が変わったと錯覚するじゃない。お金使ってくれるのはいいけど、錯覚を真剣に信じきっていたらバカよね。お金ができたから、世間相場くらい、まあやるかと。しかし、こんなものじゃ人間は変わらないと思って乗ってたら、人をバカにするようなことはせんからね。倒産の取材してたら、お金もって人柄変わっちゃったっていう経営者は、いっぱいおったね。5億、7億の豪邸を建てたら、大体潰れるね。人をバカにするのね。従業員や仕入先をバカにするのね。

 ※全インタビューは、以下のCD-ROMに納められている。

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このようなインタビューを6年前(25歳の時)にしていたお陰もあって、私には、与沢氏の行く末が見えていた。つまり、与沢氏の失敗は、なるべくしてなった結果なのだ。

懸命に仕事をしてきた50,60代のビジネスマンや経営者であれば、与沢氏を見て「こいつはいつか落ちるな」ぐらい容易に予測できるはずだ。結局、何だかんだいって、最終的には人格だ。懸命に勉強し、真面目に仕事に打ち込むことが大切なのだ。直向きに仕事をして身の丈にあった生活をする。これらから逸脱すれば、いつか凋落する。
「直向きに仕事」なんて言うと、ネットビジネス信仰者からは「なに時代遅れなこと言っているの?」と揶揄されるかもしれない。しかし、彼らの歩んできた人生経験に基づく知恵は馬鹿にできない。ネットに出回っている小手先の情報ではない、本質を突いた教えを説いてくれる。だから、彼らは小手先の情報や見た目には騙されない。本質を理解しているからだ。もう少し年配者の声に耳を傾ける素直さを持とう。

つまり、「ほれ、見たことか」は、失敗する典型的な人間像だった、という意味でもあるのだ。

 

 

2.美徳意識

日本は古来から「お金は汚いもの」とされてきた。
今の若者にはそれほど浸透している価値観だとは思えないが、50代以上になれば、この価値観を持った人は大勢いるだろう。私の母親も、「お金の話はするな。汚いから」と言う。おそらく、お金が汚いと言うよりは、「金、金、金」とお金の話をすることが下品で汚く見えるのだろう。それなら私も納得する。「お金は汚い」と言われるよりは、「お金の話をするのは、下品」と言われるほうが腑に落ちる。
今の話を聞いて、ピンとくる人とピンとこない人に分かれる。何が二つに分けるのか。それは美徳意識の差である。

1年ほど前に私は自身のブログで、「自分の年収を広告の謳い文句にするのは恥ずかしい、見ていて痛々しい」という趣旨の記事を書いた。その記事を読んだ人から、「年収も謳えない奴のほうが痛々しい」とのコメントをいただいた。私はこのコメントを見て、正直、言う事がないなと思った。一応、返事は返したが、おそらく納得はしていないだろう。これは、教養というか、品性というか、そういう類の問題だ。「いくら稼ぎました」と公言する人は、自分の行動に品がないということに気づかない。「品がないんだよ」と教えても、多分わからないだろうし、理解できないだろう。

与沢氏を擁護する人の中には、「行動も成功もしていない人が与沢氏を批判するな」「虚業でも、億単位を稼いだんだから凄い」という意見を言う人がいる。おそらくこれは、「稼ぐが勝ち」という価値観がどこかにあるからだろう。つまり、結果重視。
この価値観は、美徳意識を持つ人とは相いれない。汚く稼いだ金は汚い金であって、決して評価に値するものではないからだ。「稼ぐが勝ちの価値観」と「稼ぎ方を重んじる美徳意識」の隔たりは大きい。

ただ私は、稼ぐが勝ちの価値観を全否定する気はない。確かに、社会を見渡せば、「結局稼いだ奴が勝ちだよね」と言いたくなるのも分かる。だが、稼げば何してもよい、ある程度汚い事をしてもよいという価値観が蔓延すると、社会秩序が著しく低下する。実際、与沢氏が携わっている情報商材の業界は、嘘や騙しが蔓延している。それは、「売りきって逃げればいい」、「騙してでも儲かればいい」という価値観を持った輩が多いからだ。情報商材の世界で有名になった人が数年で消えてしまうのは、美徳意識がないからだ。

世間から認められ、お客様から支持を得られる商いこそが、商いを長きにわたって続けられる秘訣である。「稼ぎ方を重んじる美徳意識」は、商人であれば、誰もが持つべき価値観だと私は思う。名経営者たちも、言葉は違えど同じ真理を説いている。

与沢氏もブログでこう語っている。

「松下幸之助さんや京セラの稲盛会長の言っていることの意味がようやく呑み込めるようになってきました。自分でやってみて痛い思いをしないと、納得できない性格なので、必然だったことと思います。それよりも5年、10年も先に、このままだったと思えば、今回の出来事こそ不幸中の幸いなのかもしれません。やはり、真理や原理原則には逆らえないものですね。私は、自分の常識をもって世界に敗れました。敗戦を宣言します。これからは真理や原理原則にただひたすらに忠実に生きていきます」

つまり、「ほれ、見たことか」は、美徳意識なき経営は続かないよ、という意味でもあるのだ。

 

 

3.人を見抜く眼力

与沢氏は見るからに偽っていた。
実際持っているお金以上にお金があるように見せかけていた。彼が公表していた年商や年収ですら眉唾だ。秒速で一億稼げるのなら、課税された税金など数秒で払えるはずだ(これはちょっと意地悪な言い方だったな)。ただ、こんな容易な突っ込みができてしまうほど、虚言が数多くある。
与沢氏は見るからに「私、嘘言っていますよ。数字、盛ってますよ」と風体や纏う空気でそれを表わしている。騙される奴が馬鹿だろうと思うほどに、だ。しかし、この虚偽・虚言を信じてしまう人がいるのだ、これが。

どんな時代も、騙す人間と騙される人間は必ず一定数いる。騙される人間は、「ラクして稼げますよ、私のようにお金持ちになれますよ」という誘惑に負け、お金を次ぎ込んでしまう。お金を注ぎ込んだ人は、自分が騙されている事を信じたくない。与沢氏を擁護する多くは、彼にお金を注ぎ込んだ人たちも大勢い含まれていることだろう。

正直言って、これだけ公に虚像を作り、虚言を吐いてきたのだ、バレないはずがない。いつか必ずバレる。それが世の常だ。遅かれ早かれ、彼はとん挫する運命にあった。これは約束されたに等しい運命だ。こんなこと、ある程度の人を見抜く眼力があれば、見た瞬間見抜ける。だから、眼力ある人は「ほれ、見たことか」「やっぱりね」の反応になるのだ。

2ちゃんねるの創設者ひろゆき氏は「嘘は嘘であると見抜ける人でないと掲示板を使うのは難しい」と言っていた。これは、情報ビジネスにも同じことが言える。嘘を嘘と見抜けない人は、情報ビジネスに携わらないほうがよい。騙されるか、騙すかのどちらかになるからだ。

つまり、「ほれ、見たことか」は、「嘘つきの嘘がバレた」「メッキが剥がれた」という意味でもあるのだ。

 

まとめ

これで与沢氏を見ることは当分なくなるかもしれない。辛辣なことを書いたかもしれないが、私は彼の再起を期待している。今回の失敗を糧に成長した新たな彼を見てみたいと個人的には思っている。彼にはお金儲けをする才能がある。なんとなく、彼を見ていてそう思うのだ。まだ30前半、いくらでもやり直しがきく。与沢翼氏がこれからどう生まれ変わるのか、ぜひ、注目していきたい。

以上

 

 

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