斜め45度からの理説

どこにも転がっていない理論や方法論を語ります。

大人になったら身に付けたい「立ち上がる力」

長い人生、人はどこかで挫折を経験する。挫折とまでいかなくても、落ち込んだり気力を失う出来事に襲われるときもあるだろう。これは、大小問わず万人が経験することだ。大切なのはそこから立ち直れるか否かだ。これができる力を「立ち上がる力」と私は呼ぶ。

「では、立ち上がる力はどこからくるのか」。実は、このように考えても良い答えには辿り着かない。人はしんどい時、ポジティブな考えも言葉も心には響かない。それで助かるようなら、自己啓発本を読んでいれば皆元気になれる。だが、現実はそうではない。

「何が立ち上がるのを妨げているのか」。
このように考えるほうが立ち上がるヒントが得られる。立ち上がるのに必要なのは精神力や気力といった類のものではない。立ち上がる妨げをしている“何か”を排除することなのだ。

立ち上がる妨げをしているもの、それは2つある。外聞と希望だ。

外聞について、私を例に話そう。
私はコンサルタント業を営んでいる。要は人に儲け方を教える職業だ。私がコンサル業として失敗したと仮定しよう。きっと世間からは、「何儲け方教えている人が失敗しているの」と嘲笑される。おそらく、私と同じ職種の人はこの恐怖を抱いているはずだ。

このような外聞を気にしていたら、次の仕事を探すのに差し障る。だが、私の場合、外聞を気にせず仕事探しをするだろうし、最悪、生活保護の助けになることもいとわないだろう。私は気づいているのだ。自分が気にしているほど世間は自分の外聞を気にしていない、ということに。

しかし、これに気づいていない人は多い。一流大学を出た人は、それに見合った大手企業でなければ就職したがらない。もし不採用になっても、中小企業への就職活動はしないのだ。そして立ち上がれなくなる。


次に希望だ。
普通なら希望があれば立ち上がれると思うかもしれない。実は逆で、絶望時に必要なのは、未来の希望ではなく“未来の絶望”なのだ。淡い希望を見て、それが砕かれたとき、人は本当に立ち上がるのが困難になる。淡い希望ではなく、未来の絶望が人に立ち上がる力を与えるのだ。

映画「ロード・オブ・ザ・リング」にこんな名シーンがある。
万単位の敵勢に攻め込まれ、恐怖した兵たちにアラゴルンは剣を抜き、こう叫んだ。

「君たちの瞳に恐れが見える。それは私をも襲うものであろう恐怖だ。いつか勇気を失い、友を見捨てる日が来るかもしれない。魔狼の時代が来て、盾は砕かれ、人間の時代が終わる時が来るかもしれない。しかし、それは今日ではない!」

この言葉を聞き、兵は士気を取り戻す。

挫折し、恐怖に溺れ、もう駄目だと思う日が来るかもしれない。だが、それは今日ではない。今日ではないのだ。

「立ち上がる力」は、外聞、そして、淡い希望を捨てられるかがカギになる。これが、大人になったら身に付けたい力の一つである。