斜め45度からの理説

どこにも転がっていない理論や方法論を語ります。

大人になったら身に付けたい「原因を見抜く力」

誰でも、問題が起きている事実は認識できる。しかし、“何が問題の原因なのか”を正しく認識できるのは、ごく限られた人だけだ。能力が高いとされる経営者でさえ、正しく問題の原因を把握できる人は少ない。だからこそ、コンサルタント業という商いが成立するとも言える。

問題解決するうえで大切なことは、原因を正しく把握することである。それさえできれば、問題の半分以上は解決したのと等しい。
問題の原因を正しく把握する力を私は「原因を見抜く力」と呼ぶ。


私は水泳が苦手である。自慢ではないが5mも泳げない。
今「水泳が苦手」と書いたが、これは誤った解釈だ。私が泳げないのは、厳密に言うと息継ぎが上手くできないからである。言い換えれば、息継ぎさえできれば泳げる。大切なことだが、「息継ぎが下手」と認識するのと「泳げない」と認識するのとでは意味がまるで違う。

実は、私はスキューバ・ダイビングの免許を有している。空気ボンベがあるため、息継ぎは関係ない。だから免許を取る気になったし、取得することもできた。もし私が、「自分は泳げない」と認識していたら、スキューバ・ダイビングの免許を取ろうとは微塵も思わなかっただろう。

こうした誤認や認識違いで、無駄に自信を喪失したり、行動範囲を狭めてしまう人は少なくない。また、誤った解決策を講じてしまうことさえある。

ビジネス現場においても、同様の現象は頻繁に起きている。
たとえば、経営者が自社の営業マンについて愚痴をこぼしたとしよう。「うちの営業マンは営業が下手で契約が取れない」と。経営者は、契約が取れないのは営業マンの能力に原因があると認識している。

これは、先ほどの「泳げない」と同レベルの認識の仕方だ。「なぜ、契約が取れないのか」まで踏み込まなければ正しく原因を把握できない。営業マンの行動を調べてみると、事務処理に追われていたり、非効率な営業回りをしていることが原因だと分かるかもしれない。もしかしたら、社長の私用に関わる指示に時間が割かれているのかもしれない(稀にこういうことがある)。“真の原因”がそれらであれば、改善すれば営業成績は上がるはずだ。

問題解決において、私の経緯上言えることが一つある。それは、“人が問題の原因”になることは極めて稀である、ということだ。

だが、人はどうやら、問題が起きた際その原因を“人”に押し付ける癖を有している。何か問題があれば「○○さんが悪い」「○○さんが問題だ」と言い始めるのだ。

マスメディアを見てほしい。何か問題があれば必ずと言っていいほど「誰が悪いのか」に論点が行く。これを飽きることなく繰り返している。人を問題の原因にして責任を問うのは、一番ラクな問題解決法である。原因の矛先を人に向ければ、真の原因は何かを探る機会を失うことになる。

「あいつが悪い」と罵れば、一時的にストレスは発散できるだろう。だが、真の原因を解決していないため、また同様の問題が起きる。そしてまた人のせいにする。この繰り返しだ。

問題を抱えているにも関わらず、一向に改善しない組織は、「人のせいにしている組織」に多い。「安易に人のせいにしない」。人を問題の原因にするのは「原因を見抜く力」の大きな弊害となるため、留意しておきたい点である。

「原因を見抜く力」を有するためには、二つの大切な視点がある。一つは「複数の原因を見つける」。一つは「原因のセンターピンを見つける」。

問題が起きる背景に、原因が一つの場合もあれば、三つの場合もある。いくつかの原因が絡みあって、一つの問題が起きていることは、特段、珍しいことではない。まずは、問題の原因はいくつあるのか、それを見つけることが重要だ。次いで、原因のセンターピンを見つける。実は、原因には解決するべき順番が存在する。一つの原因を解決することにより、連動して他の原因が解消されることがままあるのだ。

先ほどの営業マンの例で解説しよう。
原因の一つである「事務処理に追われている」を改善するため、営業部にオペレーターを一人従事させたとしよう。オペレーターを設けたことにより、部全体のスケジュールや行動管理が一元化され、無駄な外回りも激減した。その結果、部全体の営業成績が改善する。つまり、一つの原因を解消する手立てが、もう一つの原因を解消し、より大きな成果を収めることに成功したのだ。

「原因を見抜く力」があれば、問題を解決に導くことができる。それだけではない。「原因を見抜く力」を養う過程において、誰かのせいにする行為は、問題を先送りにするだけだと身をもって知れる。この経験を重ねることで、人の可能性を信じられるようにもなれる。これが、大人になったら身に付けたい力の一つである。