斜め45度からの理説

どこにも転がっていない理論や方法論を語ります。

言葉との出合いが人生を変える

あなたには、心の支えとなる言葉があるだろうか?
世間ではそれを、「座右の銘」や「人生訓」などと言うのかもしれない。私には、今もなお、心に残っている言葉が二つある。今回は、その話をしたい。

中学校3年から高校1年までの約1年半、私は空手を習っていた。
入門した空手道場は一風変わっており、喧嘩を前提とした「喧嘩空手」を指導していた。私も喧嘩が強くなりたくて道場の門を叩いた人間だったため、「喧嘩空手」の方針は大歓迎だった。

館長の教えも、変わっていた。
「喧嘩は売るな。売られたら買え。そして徹底的にやれ」「空手は、空の手で人を殺せるから空手。殺すつもりで試合(死合)しろ」「試合中、場外に出て審判が止めた際、もし相手が気を緩めていたら攻撃しろ。それで反則を取られても構わない。そもそも、試合中に気を緩ませる奴が悪い。喧嘩中に気を緩める奴がいるか? 喧嘩には審判はいないし、止めてくれる人もいない。油断したほうが悪い」
私もその通りだなと思い、素直に従った。

いくつもの指南をしていただいた中に、今もなお、私の中で息づいている言葉がある。

「痛かったら前に出ろ」
私は今も、この言葉を人生訓としている。

意味は、「痛いからといって後ろに下がるな。後ろに下がると相手の拳や足が伸びて余計痛くなる。前に出れば伸びず、痛みは半減する。蹴りを避けたり、技を出すためのバックステップはいい。だが、『退く』のは駄目だ。退いたら負ける」。

もう一つ、人生訓にしている言葉がある。
「相手よりも手数を出せ」

意味は、「相手が1発殴ってきたら、2,3発にして返す。2発殴られたら、3,4発にして返す。相手より手数を出していて、負けることはそうない」。

「痛かったら前に出ろ」「相手よりも手数を出せ」。
シンプルな言葉だが、なぜか心に響いた。確かに、2つを守っていたら、そうそう負けないだろう。

空手を始めて1ヶ月半、館長から「まぁ、経験に出てみるか」と、他道場が出場する空手大会に誘われた。館長も1回戦敗退を予想していただろう。結果は、決勝戦まで勝ち登り、準優勝を果たした。
試合後、館長は感嘆していた。「1回戦で敗退すると思っていた。いい根性しているわ」と。しかし、私が自分より強い選手に勝てた一番の要因は、館長から教わった「痛かったら前に出ろ」「相手よりも手数を出せ」の言葉だ。これを愚直に守りつつ、上手く立ち周った結果、自分より強い相手とも闘えたのだ。

この人生訓は、学生時代の私を大いに守ってくれた。
暴走族から友達を2度かくまったときもそうだ。暴走族が家まで来たり、囲まれたりもした。足が震える場面が何度かあった。その時も「退いたら負ける。退いたら負ける」「何か手があるはず」と何度も自分に言い聞かせて、その都度、対処してきた。友人共々、無傷で2度も生還できた。おそらく、逃げる姿勢を一瞬でも見せたら、フルボッコにされていたに違いない。

高校時代も、不良高校に進学したため、日常的に絡まれていた。
当然、私の中に「退く」の選択肢はない。館長の「喧嘩は、売られたら買え」もあったことだし。だが、退かない姿勢を見せれば、大抵は、相手側が退いてくれる。

空手で得た教訓は、幾度となく私を危機から救ってくれた。
今でも、何か辛いことがあったとき、「痛かったら前に出ろ」「相手よりも手数を出せ」の言葉が頭の中に響いてくる。