斜め45度からの理説

どこにも転がっていない理論や方法論を語ります。

大学生の読書時間ゼロは、思考力に大きな弊害をもたらす

2016年2月24日、全国大学生活協同組合連合会が発表した生活実態調査によると、読書に充てる時間を「ゼロ」と答えた学生は45.2%にのぼり、調査を始めた2004年で最も高い結果となった。一方、スマートフォンに充てる1日の平均利用時間は155.9分。


この調査結果を受けて、あなたはどう感じただろうか。

この手の話が上がるたび、「若者の活字離れ問題」が騒がれる。だが私は、悲観するほど活字離れをしていないと考えている。スマートフォンの利用時間155.9分の中には、ネットニュースやブログなどを閲覧している時間もあるはずだ。つまり、形は違えど、それなりに活字には触れていると推察する。

では、何の弊害もないのかと言えば、そんなことはない。大いに問題を孕んでいる。「本の活字」と「ネットの活字」には大きな違いがあるからだ。それは、論考の深度だ。

本の場合、一つのテーマを深く掘っていくものが多い。別言すれば、論理展開が長い。「だからこうなる→そのためこうなる→したがってこうなる→よってこうなる→それならこうなる」と奥へ奥へと論を深めていく。仮にこれを「展開型」と呼ぼう。ネットの活字には、この「展開型」があまりない。数千文字程度の記事では、深く論理展開できないからだ。散見するのは、「第一に、第二に、第三に」という書き方。これを仮に「列挙型」と呼ぼう。

二つを喩えるなら、
「展開型」は、10メートルの穴を1つ掘るようなもの。
「列挙型」は、1メートルの穴を複数掘るようなもの。

読書をしなくなれば、「展開型」に触れる機会が著しく減る。そうなれば当然、長い論理展開に耐えうる思考力(論理力)は養われない。

今回挙げた弊害は、ほんの一端に過ぎない。
読書をしなくなれば、行間を読む力や表現力が鍛えられない。語彙も豊かにならない。プロの作家や編集者が世に送り出す書物は、知らず知らずのうちに読者に多くの益を与えてくれる。

とはいえ、大学生の読書時間が今後増えるとは思えない。
種々の能力が養われないことは、正直言って嘆かわしい。だがこれも時代の趨勢だと思い、半ば諦観して見るしかないだろう。

世の中が便利になった分だけ、人は考えなくなっていく。これは恩恵なのか、それとも弊害なのか。おそらく、表裏一体の関係なのだと思う。



一つ確かなのは、出版業界は本気でやばい。