斜め45度からの理説

どこにも転がっていない理論や方法論を語ります。

合理と倫理の狭間で ~道徳なき経済と経済なき道徳~

会社経営していると合理と倫理の葛藤が稀に起きる。私の所感を元に話をしたい。

あるアフィリエイタ―がこのようなことを述べていた。「私は情報商材を紹介する際、その商材を買ったことがありません。そんなことしていたら成功しません」と。つまり、自身がお客に売る商材が良いか悪いかなどチェックせずに、「いい商品ですよ」と謳い、売るということだ。合理的に考えれば、これは正論だ。一つひとつ商材を買っていたら、コストだけではなく時間までかかってしまう。さっさと売れる商材を紹介して回したほうが何倍も収益になる。だが、決して倫理的ではない。見たこともない商材を勧めるのだから、嘘を言い、誇大表現していることになる。

考え方次第では、「アフィリエイタ―は、あくまでも広告代行であり、商材の品質はあくまでも販売元にある。だから、アフィリエイタ―が品質の責任を負う必要はない」という論理も成り立たなくもない。だが、腑に落ちない人も多いだろう。法的な責任がなくても、道義的な責任があると考えてしまう。おそらくこうした倫理観の欠如が、アフィリエイタ―が胡散臭いと思われる所以ではないだろうか。

 

 

正直言ってどっちも正しい

先のアフィリエイタ―の考え方は、ビジネスで成功するためには必要なのかも知れない。だが、私にはできない。

先日、ある友人からこんな質問をされた。「お前はなぜ、インフォプレナー(販売元)になって、アフィリエイタ―を使わないのか?」。私の口から出た答えは、「俺の教材を買ったこともない人に、商品を勧めてほしくない」だった。とっさの質問だったため、答えもとっさに出た。自分の回答を聞いて、自分は倫理に偏った人間なのだと理解した。私は合理派か倫理派かと言えば、明らかに後者になる(通りで、成功していないわけだ)。

だが私は倫理観のない合理的な考え方を否定する気はない。むしろ、その合理的な思想を少しでも分けてほしいとさえ思う。

ビジネスを通じてひしひしと感じているのは、自分はこの倫理観が足枷になっているということだ。もし、合理的な考えにもっと染まっていたなら、今以上に稼げていたに違いない。だが、悲しいかな、私は自分自身が胸を張って稼げる稼ぎ方でないと事業をする意欲が起きないのだ。

 

 

犯罪者になるか、寝言を言うか

二宮尊徳の言葉にこんな一説がある。
「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」。

私なりに咀嚼して言えば、「合理主義に偏り過ぎれば犯罪に手を染めてしまう。倫理主義に偏り過ぎれば稼げず、倫理は戯言になってしまう」。

アフィリエイトの業界は、合理主義に走る人が多いため、詐欺まがいの商材や誇大表現に溢れ、業界全体の信用が著しく下がっている。実際、国民生活センターに被害を訴える人が後を絶たない。まさに、二宮尊徳の言葉「道徳なき経済は犯罪」である。

また、倫理に偏り過ぎてしまい四角四面な経営をしていると大して稼げない。
たとえば、FAXDMを1万件に送付し100人の人が注文したとしても、見方を変えれば、9,900人にゴミを送りつけたことになる。ビジネスは、1%の喜ぶお客のために99%の人に迷惑をかけているのだ。倫理に偏り過ぎれば、販促活動もできなくなってしまう。

何事もバランスが大切なのだろう。
倫理観を守りつつ合理的に大儲けすることは、本当に難しいのだと痛感する。