斜め45度からの理説

どこにも転がっていない理論や方法論を語ります。

無駄な努力はするな! 効果的な努力に必要な3つの要素

無駄な努力とは、報われない努力を指しているのではない。非効果的な努力を指している。

たとえば、同じ練習時間を費やしても、人によって上達に差が表れてくる。この差はどこから来るのか。それは、「努力の仕方」からくる。

努力には、効果的なものと非効果的なものがある。では、効果的な努力とはどのようなものなのか。
今回は、効果的な努力に必要な3つの要素について解説したい。

 

 

1. 時間をかける

努力とは、“時間をかけて何かに取り組むこと”である。
「ん? そんなのは当たり前だろ」とお思いだろう。それでも、あえてもう一度言おう。努力とは、時間をかけて何かに取り組むことである。

実は、この言葉を真の意味で理解している人は少ない。多くの人は、先の言葉に「苦労(ストレス)」が付随する。苦労していないものは、努力と認めていないのだ。

例を挙げて説明しよう。
私は学生時代、ゲームばかりしていた。1日6時間は当たり前、休日には寝食を忘れて15時間ゲームに没頭した。だが、誰も私の行為を「努力してる」とは評さなかった。もし私が、ゲームしていた時間を勉強に充てていたらどうだろう。きっと「努力している」と評されたに違いない。

多くの人は、努力とは「頑張ってすること」「苦労を伴うもの」という固定概念を持っている。そのため、楽しんでしていることや好んでしていることを努力とは評さない。

まずは、この固定概念を壊してもらいたい。
時間をかけて何かに取り組んでいれば、それらはすべて「努力」なのである。そこに一切の感情を持ち込んではいけない。時間をかけているのであれば、どんな思いでしていようと「努力」なのである。

50年間、煙草を吸い続けてきたのなら、「50年間、煙草を吸う努力」を続けてきたのだ。毎日3時間、テレビを見続けているのなら、「毎日3時間、テレビを見る努力」をしているのだ。

「はぁ? そんなの努力じゃないよ」と思ってしまうのは、固定概念に捕らわれているからだ。何度も言うが、時間をかけたもの、かけているものはすべて「努力」なのである。苦労しているとかラクをしているとかの精神論は、努力の定義には一切含まない。

なぜ、固定概念を壊す必要があるのか。
それは、「努力は苦労を伴うもの」と思い込んでいれば、人は自然と“苦労しながら努力しよう”と行動してしまうからだ。しかも、それを何の疑いもせずに。努力は、別に楽しんでもいい。いや、むしろ楽しんで取り組むべきである。

苦労を伴う努力と快楽が伴う努力では、どちらが継続できるだろうか。論を俟たず、後者である。では、学習効果が高いのは、どちらであろうか。これも後者である。脳は“快”を感じていると、学習効果が高まることは科学的に証明されている。どうせする努力であれば、楽しんでするほうが効果的なのだ。

多くの人は、「努力は苦労を伴うもの」と思い込んでいるため、わざわざ苦労を求めて、学習効果が下がる苦痛を感じながら、努力を続けているのである。

固定概念を壊して「苦労を伴う努力」から解放されると、効果的な努力への道が開けてくる。効果的な努力の方法については、「頑張らずに努力を続ける5つの方法」で解説しているので、こちらを参考にしてもらいたい。

もう一度、改めて言おう。「努力とは、時間をかけて何かに取り組むこと」である。努力の定義に、精神論は一切持ち込んではならない。

 

 

2. 負荷を与える

人の筋肉は、強い負荷を与えられたとき、強くなる。逆に、軽い負荷をいくら与えられても、強くはならない。

たとえば、ダンベルを使って筋トレしたとする。
5kgからスタートして、7kg、10kと段々重くしていく。このように負荷を増していくことで、身体はそれに対応しようと筋力を増していく。これは、科学的に分かっている。だが、5kgのままだったらどうだろう。年単位で続けていても、筋力は一向に増さないのだ。

文章力の鍛錬でも同じことが言える。
文章が上手くなるコツは、「もうこれ以上書けない」「もうこれ以上推敲できない」「もうこれ以上削れない」という負荷(限界経験)を何度も積むことである。

「もうこれ以上、書けない、推敲できない、削れない」を繰り返していれば、ワンランク上の文章が書けるようになる。そうしたらまた「これ以上、書けない、推敲できない、削れない」の負荷を与える。この繰り返しだ。逆に、負荷を与えなければ、文章力は上達しない。たとえ、何十万文字、何百万文字を書こうが、だ。

ブログを毎日更新することを目標にしている人がいるが、文章力上達の観点からすれば間違いである。漫然と日々ブログを書いても文章力は一向に上達しないのだ。

どんなに強い負荷も、続けていけば次第に慣れていき、ラクに感じてくる。ここで、ラクのまま通すのか、さらに強い負荷を与えるのかで努力の効果は異なってくるのだ。時間だけではなく、負荷を与えることは、努力の効果を向上させるために必須なのである。

 

 

3. 基礎を築く

「基礎が大事」。
どの世界・分野でも基礎の大切さは伝えられている。
しかし、初心者はこの基礎の大切がいまいちピンと来ない。それよりも、「技」に目が行きがちである。
初心者ほど技に関心を示し、上級者ほど基礎を重んじる。これも、どこの世界・分野でも同じではないだろうか。

基礎を疎かにして技を磨いても、ある程度まで技術は上達する。だが、いつか必ず行き詰る。そのとき、基礎に立ち戻れるかどうかが上達の分かれ道となるだろう。

建築業界では、「基礎工事」と言う言葉がある。基礎工事は、住宅の足元を支える大切な工事だ。ここを疎かにすれば、上に立つ家が傾いたりしてしまう。

これは、他のことでも置き換えられる。
住宅と同様に、すべての技も基礎の上に成り立っている。基礎を築かず、無理に技だけを会得することも可能だが、やはりその脆さはいつか表れてしまう。

私は15,16歳のとき、空手を習っていた。
身体を通じて学んだことは、有段者とそうでない人の蹴りは、同じ蹴りでも全く異質なものだということだ。姿勢・スピード・重さ・角度・軌道・タイミングなど一つひとつがまるで違う。体重の重い中級者の蹴りより、体重の軽い有段者の蹴りのほうがすっと重く、急所を目掛けて飛んでくるのだ。
基礎がある人は、技のレベルが一つひとつ高い。基礎はすべての技を昇華させるものでもある。

ちなみに、基礎と技術の関係を図に表してみた。
大ざっぱな図だが、少しはイメージの役に立つかもしれない。

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まとめ

同じ努力でも、非効果的な努力と効果的な努力がある。
効果的な努力をするための要素は3つある。「時間をかける(できれば楽しく)」「負荷を強めていく」「基礎を築く」である。
大抵の分野で通用する普遍的な努力法ではないだろうか。