斜め45度からの理説

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生産性を高めたい人は必読! 生産性が理解できる書籍3選

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今話題のワード「生産性」。一時的な流行りではなく、この先も一生意識していかなくてはならない言葉だ。なぜなら、生産性を度外視して仕事を続けていれば、競争社会からいずれ弾かれてしまうからだ。


今回、生産性について記した書籍3冊紹介したい。
1冊目は、「生産性」の概念を詳細に説いた『生産性』(著 伊賀 泰代)。2冊目は、生産性をマクロ経済レベルで説いた『新・所得倍増論』(著 デービッド・アトキンソン)。3冊目は、生産性を個人レベルで説いた『自分の時間を取り戻そう』(著 ちきりん)。

では、紹介していこう。

 

 

そもそも生産性って何?

書籍『生産性』から生産性の定義を引用しよう。

生産性は「成果物」と、その成果を獲得するために「投入された資源量」の比率として計算されます。「アウトプット」÷「インプット」といってもいいでしょう(図表1)。(p30)

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの

 

 

書籍にある図表1と同じ図を作成した。以下が生産性を表わす図表だ。

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企業レベルでたとえれば、100人で利益10億円をあげるのと、100人で利益20億円をあげるのとでは、後者のほうが生産性は高い。個人レベルでたとえれば、月160時間働いて30万円稼ぐのと、月100時間働いて30万円稼ぐのとでは、後者のほうが生産性は高い。

では、「生産性を高くする」には、どうしたらいいのか。本書にはこう記されている。

このため、生産性を上げるにはふたつの方法があります。ひとつは成果額(分子)を大きくすること、そしてもうひとつは、投入資源量(分母)を小さくすることです。(p31)

 

著者はここで注意を喚起している。

よく起こる問題が、成果額を上げるための最初の方法として、残業をしたり人手を増やしたりという「投入資源量を増やす」施策が選ばれがちです。(p31)

 

どういうことか説明しよう。
これまで、20の投入資源量に対して100の成果額を得ていたとしよう。先の公式に当てはめれば、[100(成果額)÷20(投入資源量)=5(生産性)]となる。日本人が陥りがちなのは、20の投入資源量を30にして100の成果額を110、120に上げようとすること。しかし、たとえ成果額をあげたとしても生産性は下がる。なぜなら、残業代は割高になり、長期労働は社員が疲労するため仕事速度は著しく低下するからだ。

つまり、「投入資源量を増やす」という施策は、成果額を増やすが、生産性は低くなるといった結果を招く。式で例えるとこうだ。

(前) 100(成果額)÷20(投入資源量)=5(生産性)
(後) 120(成果額)÷30(投入資源量)=4(生産性)

これでは、「生産性を高める」とは逆行する。

著者が記したように、生産性を上げる方法は大きく分けて2つしかない。「成果額を上げる」か「投入資源量を下げる」かだ。本書には、投入資源量を下げる方法と成果額を上げる方法を「改善」と「革新」の観点から各々2つずつ紹介しており、計4つのアプローチが掲載されている。

誤った施策「投入資源量を増やす」は、日本企業で多く採用しているため、日本人の生産性は著しく低くなっている。著者も冒頭部分でこう述べている。

日本のホワイトカラーやサービス業の生産性は、欧米先進国に比べて著しく低いと何度も指摘されているにもかかわらず、その状況はいまだに改善されることはありません。 (p4)

 

ここで書籍を『新・所得倍増論』(著 デービット・アトキンソン)に移そう。

 

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日本人の生産性は、悲しいほど低い

日本人がいかに生産性が低いのかをデータをもとに解説している。一部引用しよう。

皆さんは、日本人の生産性は、世界でどのくらいのポジションに位置づけられていると思いますか?(中略)
しかし、残念ながら現実は、世界で第27位です。(中略)
先進国でもあるにかかわらず生産性が「27位」なのは、日本は世界一のスピードで高齢化が進行しているからではないのかという指摘はよく出てきます。(中略)
実際、国連が各国の「労働人口比率」と、そのうちの実際に仕事についている人の比率を出していますので、それを用いて、各国の特殊要因を調整することができます。この数値で各国のGDPを割ってみると、日本の労働人口1人あたりGDPのランキングは「27位」よりもさらに低下します。(中略)
別の切り口として、アメリカの州別の生産性と日本の生産性を比較してみると、もっと衝撃的な事実が浮かび上がりました。(中略)
日本の生産性は、アメリカ全50州の中で49位と50位の間。ミシシッピ州より少し高いくらいなのです。(p37ー43)

デービッド・アトキンソン 新・所得倍増論―潜在能力を活かせない「日本病」の正体と処方箋

デービッド・アトキンソン 新・所得倍増論―潜在能力を活かせない「日本病」の正体と処方箋

 

 

厳しい現実を突きつけられた。誤解してほしくないのは、著者は決して、「日本人の能力は低い」と貶めているわけではない。日本人はもっと生産性を高められる潜在能力を秘めていうにもかかわらず、それを発揮できていないと嘆いているのだ。

ではなぜ、日本人は自身の能力を発揮できていないのか。本書ではデータをもとに様々な観点からの分析が掲載されており、この分析だけでも5,6,7章を割いている。詳しくは本書を読んでいただきたい。

特に私の興味を引いたのは、日本人の持つ妄想と願望である。
本書の一節に、「なぜ日本がここまで経済成長したのか」という話題に対して、日本人は「技術力が優れているから」「勤勉だから」といった意見が挙がるとあった。確かに、その意見はテレビや書籍などで見た記憶が私にもある。著者も、日本人の持つ特長としては否定していない。だが、その特長が生産性にどの程度影響を与えているのか、つまり因果関係になっているのかを客観的なデータと照らし合わせて検証することができていないと著者は指摘する。そして、検証できていないこれらの主張は「妄想」や「願望」だと説く。確かにそうだ。

本書の冒頭には、日本人がいかに妄想や願望に取りつかれ、現実(事実)を見ようとしないかが記されていた。

私はこれまでアナリストとして、日本の銀行、さらには日本経済について、客観的な事実を冷静に分析して、それを正直に書いてきたつもりでいます。しかし、人によってはそれをかなり痛烈な批判と受け止めるケースが多いのです。(中略)
アナリスト時代には会社に右翼の街宣車が来て、会社から身の安全が保証できないと言われ、海外に身を寄せたこともありました。(中略)
現在も、ネットの記事や書籍で「提言」をさせていただく機会が多いのですが、そのたびにバッシングの嵐にさらされることもあります。(p21ー22)

 

世界各国の観光情報が掲載されている英文サイトには、日本についてこう書かれているそうだ。「日本人と話したらかならず『日本はどうですか』と質問されます。尋ねている側は正直な評価を期待しているわけではないので、無条件に褒めてください。やや過剰でもいいでしょう」。

うわっ、恥ずかしい。
これを読んだ時、「もしかしたら私も訊ねていたかもしれない」と省みた。多くの日本人が持っているだろう、自国に対する自信や誇り、愛国心といったものが、外国人へ「自国への賛美」を強要しているのかもしれない。そしてそれらの精神が我々日本人の目を曇らせ、事実(データ)を受け止めることをできなくさせているのだろう。

さて、続いては、個人レベルでどう生産性を高めたらいいのかについて説いている『自分の時間を取り戻そう』(著 ちきりん)に移ろう。

 

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生産性はビジネスだけの話ではない

著者は、今後社会は高生産性社会にシフトする(もうすでにはじまっている)と説く。そして、この流れは何もビジネスだけではなく、家事・育児・趣味・教育など様々な場面において必要な概念としている。

もう一度、生産性の式を思い出してほしい。[成果量÷投入資源量=生産性]は、ビジネス以外でも当てはまる。

たとえば、スポーツや勉強。投入した時間に対して、どれぐらい上達したのか、成績が上がったのかが生産性になる。生産性を見ずに時間だけ投入していると生産性が下がっていることに気づかない。スポーツは長時間やれば疲労が溜まり、勉強も長時間やれば集中力が途切れる。そのため、生産性は下がりやすい。時間を投入することも時には大切だが、「生産性を高める努力」を意識して工夫しなければ、それはただの精神論である。この延長線には、日本が抱える通弊「成果を高めたければ、投入資源量を増やせばいい」が繋っているだろう。

著者は、生産性を高めたければまずインプット(投入資源量)を減らすよう提言している。

生産性を上げるにはインプットを減らせばよいのです。具体的には、労働時間を減らす、家事や育児に使う時間を減らす、学生なら勉強時間を減らすことが、生産性を上げるのに役立ちます。(p148)

自分の時間を取り戻そう―――ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方

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具体的なアプローチとして、「1日の総労働時間を制限する」「業務ごとの投入時間を決める」「忙しくなる前に休暇の予定をたてる」「余裕時間をたくさん確保しておく」「仕事以外のこともスケジュール表に書き込む」の5つを挙げている。詳しくは本書で。

私も本書を読み「1日の総労働時間を制限する」を実行しようと考えている。現在私の1日の労働時間は6時間だが、それを来年から5時間にする。これが一番手をつけやすく、効果が高いと考えたからだ。それに、頭がしっかりと回るのも経験上3~4時間が限界であると知っている。本書でも書いてあるが、投入時間が余っている人の場合、強い気持ちが無ければ投入時間を減らすことは難しい。意思を持って取り組むためにも、会社の営業時間の表記から手を付けたいと思う。

さて、個々の生産性の高さにちなんで、面白い記述がある。

実は今、働いていている人の中には、その仕事の価値観がゼロ以上の人と、マイナスの人がいます。 たとえば生産性が低い産業を守るために余計な規制を作っているような人ーーーこういう人は働かないでいてくれたほうが、社会全体に生み出される価値が大きくなります。(中略)
ベーシックインカム制度を導入したとき、そういう(働くことで社会にマイナスの価値を出している)人の一部でも、「働かなくてもお金がもらえるならオレは働かない!」と考えてくれるなら、社会全体としてはそのほうが特になります。つまり価値を出していけない人は今後、「給料分の金は払うから働かないでくれよ」と頼まれる時代がくるのです。(p43ー44)


同感だ。規制を作る人と同様にそこに安住している人も生産性が低い。私は以前から、政府が作る天下りのための制度や箱(施設)が本当に無駄だと思っている。天下りたい人、つまりラクしてお金が欲しい人には、お金だけ渡してあげて、無駄な制度や箱を作らないでほしい。なぜこのような制度や箱を用意しなければいけないのか。それは、国民に対して体裁を繕うとするからだ。ただ単に、お金だけもらっていては国民から非難される。そこで「仕事をしていますよ」という体を成すためにわざわざ制度や箱を作っているのだ。まったくもって税金の無駄である。生産性が悪すぎる。私としては、無能な人にはお金だけを渡してさっさと隠居してもらいたい。

民間レベルでもベーシックインカムを導入して、生産性の悪い人は経済活動から退場してもらえばいい。これは別に卑下しているわけではない。そのほうが日本の生産性は高まり、国民にとっても幸せなことなのだ。だって、働かなくってもいいんだよ。

ベーシックインカムの話をする際、必ず出るのが「国民が働かなくなる」「国民が自堕落になる」といった反論である。働かなくなって自堕落になって何が悪いのかさっぱり分からない。機械と生産性を競い合って疲弊する世界が美徳なのだろうか?

早晩、大半の職は機械に奪われる。
ベーシックインカムを導入するまでもなく、仕事をしたくてもできない環境になるのだ。人類は、農業革命を経て「飢饉」を克服した。次は、「労働」を克服する時代へと移ったのだ。仕事がなくなることは本来、人類が発展した成果であって危機ではない。「機械に仕事が奪われる」といった危機が訪れているのは、仕事がなくなるという変化に社会制度が順応していないからである。もう一度言うが、仕事はAIや機械が替わってするようになる。それは、人類が発展した成果であって危機ではない。発展の恩恵を人類は享受すべきなのである。

今後「仕事」は、選ばれた人の「特権」となっていくだろう。

 

 

まとめ

書籍3冊を紹介しつつ私見を述べてきた。本記事でも紹介したように、日本人は生産性が悪い。安易にインプット(投入資源量)を増やそうとするため、長時間労働に繋がってしまう。経営者をはじめビジネスパーソンは、強い覚悟を持ってインプットを減らして生産性を高めてもらいたいと思う。日本人の持つ潜在能力を最大限開花するためにも。