斜め45度からの理説

どこにも転がっていない理論や方法論を語ります。

道徳的思考が視野狭窄にしてしまう

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何か事件が起きるたび、日本人はすぐに善悪で考える癖がある。物事を善悪で考えてもいいのだが、問題なのは「善悪で思考したら、それ以外の視点で考えなくなる」という点である。私はそれを「道徳的思考の弊害」と呼ぶ。

違法サイト『漫画村』を例に挙げてみよう。
最近、この『漫画村』について、2名の漫画家が意見を出した。

 

彼らは、「出版不況を漫画村の所為にするのはズレている」と主張。だが、記事を見た人の中には「犯罪を容認するのか」と批判する者も大勢いた。

私が記事を見る限り、漫画家2名は「出版業界の衰退」と「善悪の話」を分けて主張している。にも関わらず、批判者たちは「善悪の話」にまた引っ張り戻して批判しているわけだ。道徳的思考がどれだけ視野狭窄にしているかがよく分かる。

これは何も漫画村に限った話ではない。
たとえば、女性が強姦に遭った際も「夜遅くに一人で出歩くほうも悪い」といった批判が起きる。確かに、夜道を一人で歩けば襲われるリスクは高くなる。だがそれはリスクの話であって、善悪で言えば襲ったほうが100%悪い。このように、リスクの話を無理やり善悪の物差しで測ろうとしてしまう。そのため、ネット上ではしばしば噛み合わない言論が飛び交うことが起きるのだ。

ビットコイン事件もそうだ。ハッキングしたほうが100%悪いにもかかわらず、運営会社が悪人かのように扱われている。未曾有の窃盗事件にもかかわらず、盗んだ相手よりも盗まれた会社を批判している世論は見ていて気持ちが悪い(人類史上最大の窃盗事件にもかかわらず)。確かに、セキュリティーが甘かった責任はある。だが、責任があることと悪であることは必ずしもイコールにはならない。ビットコイン事件は、他人の悪意による事件なのだから、悪事を働いたものが悪いに決まっている。善悪と責任は分けて考えるべきだ。

先述したように、日本人は物事をまず善悪で考える癖がある(だからこそモラルの高い国でいられるわけだが)。そしてその癖は、他の視点で事件を見る機会を奪ってしまっているのだ。

私は「善悪」で物事をあまり考えないようにしている。それよりも、どうして人はそのような違法をしてしまうのだろうか、なぜ無くならないのだろうか、といった心理や仕組みのほうに目を向けている。というか、こちらのほうに関心が行かなければ、真の意味での問題解決はできない。

 

 

道徳的思考に捉われず、出版界と漫画村を考察する

善悪に捉われず、漫画村と出版業界について私見を述べよう。
私は漫画村を潰しても、出版業界の不況はよくならない、というよりも、むしろ不況になると考えている(先の作家と論旨は同じ)。理由は二つある。


一つ目の理由は、「他の娯楽コンテンツに流れるだけだから」だ。
娯楽コンテンツという意味では、漫画も映画もアニメも時間シェアを奪い合う競合である。漫画村を潰しても、漫画を読むために費やされていた時間は、他の娯楽コンテンツ、たとえば無料アニメ動画に費やされるだけである。

TVアニメもそうだが、無料でアニメを見て、その中からグッズやDVDを買う(借りる)人が出てくるわけだ。無料で読める機会を減らすことは、こうした層を失くすことに繋がる。「それはスポンサーがいるからできるんだ」と反論する人もいるだろうが、だったら漫画もスポンサーを付けて無料で読めるようにすればいいではないか。そのほうがみんなも心おきなく漫画が読めるはずだ。上手く行けば、漫画村だって形骸化できるかもしれない。なぜそれをしない? 


二つ目の理由は、「娯楽コンテンツ産業は、少数しか生き残れない世界になったから」だ。
娯楽コンテンツは、限りなくFreeに近づくものだと私は思っている。現に、ネットが普及したお陰で無料で楽しめる娯楽コンテンツが山のように出てきた。「娯楽は無料で手に入る」といった環境の中で、消費者にお金を払わせるのは、思いのほかハードルが高いのである。このハードルを飛び越えられるのは、他よりも優れたコンテンツ(相対的に)のみであり、ごく少数しか勝ち取ることができない。

漫画で言えば、週刊誌などで漫画を読んだ読者に「単行本を手元に置いておきたい」という感情を芽生えさせる必要がある。「無料で読ませると漫画が売れない」と言う主張は、私から言わせれば「読んでもらったのにもかかわらず、手元に置いておきたいとも思われない程度の作品だった」に過ぎない。だから、漫画村を潰したところで、単行本の売上にはあまり寄与しない。

キングコング西野氏が、自身の絵本を無料で公開して話題を集めた話は記憶に新しいと思う。では、無料公開して売上は下がったのか。否、逆に売上は上がったのである。なぜなら、彼の作品は絵が緻密に描かれており、「絵本で読んでみたい」といった感情を読者に芽生えさせたからである。

 

人は読んだこともない作品にいきなりお金を払う気にはなれない。違法サイトは言ってみれば、ネット上の立ち読みである。もし、違法サイトを撲滅すれば売上が上がると本気で信じているなら、週刊誌の立ち読みもなくしたほうがいい。その結果どうなるかは、想像に難しくないと思うが。

ほか、作品の力に頼らずに売るとしたら、単行本を買わなければ手に入らない「何か」を用意する方法もいいだろう。(この点は、AKB商法を見習うといいかもしれない)。

 

 

まとめ

漫画村を潰しても他の娯楽コンテンツに流れるだけ。違法サイトを潰せば作品を知る機会が減るだけ。この二つの理由から、違法サイトを潰したければ潰せばいいが、「漫画業界の衰退は加速する」という結論に達する。

話の中で出てきたが、違法サイトに立ち向かうため、スポンサー付きの漫画サイトを立ち上げるのも検討していいと思うし、単行本でしか手に入らない「何か」を考えるのも意味があると思う。

善悪に捉われなければ、ほかの視点で物事が見えてくるはずだ。とにかく道徳的思考は物事を考える際、とかく邪魔になる存在である。

 

 

蛇足

漫画村とは脱線した話になるが、漫画はネットで読めるようにしたほうがいいと私は考えている。私は普段、単行本はTSUTAYAで借りるか漫画喫茶に行って読んでいる。なぜ買わないのかというと、嵩張るからである。漫画は全巻揃えてこそであり、そうなると本棚がすぐにいっぱいになってしまう。

10年前、漫画『はじめの一歩』を揃えていたが、途中で挫折した。とてもとても100巻を超える巻数まで揃える気にはなれない。本棚の大半が一つの漫画で埋まってしまう。

これに懲りて、「購入する単行本は数巻で完結する漫画のみにする」と決めている。最近購入した漫画本に『この世界の片隅に』があるが、3巻で完結するから買う気になった。ほか、購入した単行本は数巻以内に留まるものばかりだ(『ラピュタ』もお勧め。借りパクされたけど)。

このように、消費者には本棚シェアという制限がある。この制限を取り外せなければ、購入までのハードルは下がらない。それを取り外してくれるのがネットである。ネットで本が買えて読めるようになれば、そちらに走る人もいるのではないだろうか。Kindleでもいいのだが、Kindleタブレットは漫画に最適化していない。パソコンで漫画が買えて読めるプラットホームを作るか、漫画に最適化したKindleタブレットを作るかすれば、漫画の売上に貢献すると思う。こんな感じのタブレット。

 

ちなみに、人の消費行動の背景には「商品を買う理由(動機)」と「商品を買わない理由(または買えない理由)」の二つが存在する。漫画の単行本で言えば、買う理由は「手元に置いておきたい」と思う感情や手元にないと得られない何かであり、買わない理由は、無料で試し読みできないことのリスクや本棚シェアの限界などである。この二つの観点から単行本の消費を考察すれば、見えてくるものがあると思う。

 

以上