斜め45度からの理説

どこにも転がっていない理論や方法論を語ります。

「馬鹿」とは状態ではなく、むしろ姿勢にある

「その人を知りたければ、その人が何に対して怒りを感じるかを知れ」 ミトおばさんが教えてくれたオレの好きな言葉なんだ。オレには、2人が怒っている理由はとても大切なことだと思えるんだ。(アニメ『HUNTER×HUNTER』 ゴンの台詞より)

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人が何かに怒っているのを見て、「なぜ怒っているのだろう?」と考え、理解に努めようとするのが真に知性のある人の姿勢だと思う。逆に、相手の考えを理解しようとせず、相入れない人を「馬鹿だから」と一蹴してしまう姿勢こそが、真の馬鹿なのかもしれない。

「馬鹿」というのは状態ではなく、むしろ姿勢にあると私は考える。

違った言い方をすれば、「馬鹿だから」と人を見下す姿勢には、「私は知っていて、あなたは知らない」という前提が隠れている。「私はこういう(上位の)見方ができるけど、あなたはできないでしょ。だから怒っているんでしょ。」と。

もちろんそういう場合もある。だが僅かでも、「私の知らないこと(価値観や考え方)で怒っているのかもしれない」と考える余地は残していなくてはいけない。そうでなければ、人はたやすく独善的になり、他人を見下すようになってしまう。

もう一度言うが、「馬鹿」とは状態ではなく、むしろ姿勢にある。「私には知らないことがある」という姿勢、ソクラテスの言うところの「無知の知」の有無が、馬鹿とそうでない者を分かつのである。

 

 

 

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