斜め45度からの理説

どこにも転がっていない理論や方法論を語ります。

「なぜ?」の問いで抽象化できるとは限らない

ツイッターを眺めていたら、自己分析の一環として自分の過去をノートに書き記し、アップしている人たちを見かけた。それも、ただ過去を書き記すだけではなく、「なぜ?」と問いかけ、抽象化に励んでいる。どうやら、昨年発売されたある書籍がきっかけで、大勢の人がこの自己分析に毎日勤しんでいるようだ。

そんなツイートをいくつか見て気になったことがある。皆、抽象化するために「なぜ?」と問いかけているが、この「なぜ?」の問いかけは、答え方に注意を払わなければ、抽象化ではなく、逆に具体化してしまうことがあるのだ。私の目に入ったツイートも、抽象化ではなく具体化していたものが多くあった。

では、「なぜ?」の問いに対して、何を気をつければいいのか。

実は、「なぜ?」の問いには、答え方が2通りある。1つは、理由。「〜だから」というもの。もう1つは、目的。「〜のため」というもの。

この「なぜ?」の問いに対して、「〜だから」と理由を答えた場合、抽象化するどころか具体化してしまう。抽象化するには、「〜のため」と目的を答えなくてはいけない。

たとえば、「なぜ、車は走るのか?」という問いに対して、「エンジンというものがあってね」と走る理由(メカニズム)を答えはじめたら、かなり具体的な話になってしまう。一方、「人や物を運ぶため」と走る目的を答えれば抽象度は上がる。

というわけで、「なぜ?」の問いには、目的で答えることを意識しなければいけない。


蛇足
抽象化思考力を鍛えたいなら、内面に迫る自己分析はあまり向いていない。自分が自分をどう思っているか何を思っているかは、主観的事実であり、客観的事実ではないからだ。主観と客観を分けること自体ままならない状態から、主観的事実を扱うのは、かなりハードルが高い。そのため、抽象化思考力を鍛えたいなら、まずは、外にある事象から扱ったほうがいいだろう。