斜め45度からの理説

どこにも転がっていない理論や方法論を語ります。

頑張らずに努力を続ける5つの方法

精神論の一つに、『努力』がよく用いられる。だが私は、精神論で努力を語らない。精神論として『努力』を扱っている限り、本質を見誤るからだ。

私なりの努力の定義は、『長く(多く)何かに取り組むこと』だ。どれだけ頑張ったか、どれほど苦労が伴ったかは関係ない。どれだけ長く、多く取り組んだかが重要なのである。そこに、精神論が入る余地はない。

 

 

『努力』から、頑張るを除外する

精神論で努力を扱っていると、頑張っていることに満足してしまう。「こんなに頑張っているのだから、効果あるよな」と。

頑張ろうが、そうでなかろうが、長時間何かに取り組んでいれば、誰だって上達する。頑張る(苦労)は関係ない。むしろ、『頑張っている』の状態が続けば、人は継続しなくなる。なぜなら、『頑張っている』は、精神的ストレスを重ねている状態だからである。一定のストレスが溜まった場合、人は努力するのを止めてしまう。

努力は、精神的ストレスをどれだけ軽減できるかが重要なのであって、決して、耐えることではない。精神的ストレスを減らせば、取組み時間をより長くできる。大切なことなので、よく覚えておいて欲しい。『努力は、頑張ったら負け』なのである。

今回は、頑張らずに努力する方法論についてお話ししよう。

 

 

頑張らずに努力を続ける5つの方法

今回私が紹介するのは、どんな分野でも使える汎用性の高い方法だ。精神的ストレスを溜めず、モチベーションが高まる方法でもある。


早速、5つ紹介しよう。

1、楽しむ工夫をする
2、評価を得る場所に行く
3、努力の痕跡を残す
4、公共的な目標を立てる
5、報酬を得る

では、1から順に詳しく説明していく。

 

 

1、楽しむ工夫をする

努力は得てして退屈で面白みがない。そればかりしていれば、いつしか嫌気が差して飽きてしまう。

たとえば、バスケットが好きな人でも、部活動で基礎練習しかやらせてもらえなければ、辞めてしまうだろう。時折、ゲーム(練習試合)をさせて楽しませる必要がある。そうでなければ続かない。

私は、気に入った著者の書籍を書写している。書き始めて3年になる。
「3年間も頑張って書いたんだね」と思う人もいるだろうが、私は別段頑張ってなどいない。なぜかと言うと、楽しんで書写しているからだ。

私は書写するとき万年筆を使っている。私は万年筆で書くのが好きで、万年筆で何かを書きたい衝動が常にある。書写はその衝動の吐け口の一つだ。そのため楽しみながら書写している。頑張っている感はない。

これがもし、鉛筆やボールペンで書写していたら、おそらく挫折していただろう。
他にも、楽しみながら書く工夫として、喫茶店に行くようにもしている。

よく、「努力が続かなかった」とぼやく人がいる。だが、それは誤った認識だ。「続かなかった」のではなく、「楽しめなかった」「楽しむ工夫ができていなかった」のである。ここを間違えてはいけない。楽しめれば誰だって続けられるのである。大切なことなのでもう一度言うが、「努力は、頑張ったら負け」なのである。

 

 

2、評価を得る場所に行く

人は、他人からの評価があると続けられるものである。それが『賞賛』であればなおさらだ(人によっては批判がモチベーションになる場合もある)。

分かりやすい例として、facebookで『いいね』が多くもらえると、もっと『いいね』が欲しくなる。

facebookを途中で辞めてしまう原因の一つとして、「『いいね』が集まらない」がある。『いいね』が集まらなければ面白みに欠け、ログインしなくなってしまう。友達の数が少ない人は、これに陥りがちだ。

私はfacebookを知ったとき、評価を得る場所として最適だと直感した。そのため、友達の数は増やせるだけ増やそうと考えた。

友達の数が多いお陰もあり、今では投稿するたび、100以上の『いいね』が集まる。ブログを書いたらfacebookでも告知する。すると、100名以上の流入がある。『いいね』をもらえたり、コメントをもらえたりする。これらの評価は快感である。そのお陰で、facebookにしろ、ブログにしろ、楽しみながら書いている。

このように、評価を得る場をいくつも用意し、多くの人から評価を得るようにする。これらも大切な工夫なのである。

努力は、精神論で続けるのではなく、環境作りや仕組み化など、工夫を凝らして続けるものである。何も考えず工夫もせず、苦労を続けていることを『努力』と称するのは、笑止千万だ。

 

 

3、努力の痕跡を残す

自分が努力してきた痕跡を見える形で残しておく。努力の痕跡を見るたびに、「こんなに努力してきたのか」と自身自身を褒められる。止める気も失せてくる。

人は、かけたコストが大きければ大きいほど、引くに引けなくなる生き物だ。努力は一種のコストである。どれだけ自分がコストをかけたのかを見えるようにしておくことで、自分を引くに引けない心理状態に追い込むことができる。「追い込む」の文字は、何だか脅迫的に聞こえるかもしれないが、そんなことはない。自分の努力の痕跡を見るのは、なかなか心地良いものである。

私は書写した紙をファイリングして残している。努力の痕跡を残すためだ。書写した紙以外でも、手書きしたものはすべて残している。それらを見るたび、「こんなにも書いてきたのか」と悦に浸れる。「もっと書き溜めよう」と思えてくる。一種のコレクション収集のような感覚なのかもしれない。

努力の痕跡を捨ててはならない。その痕跡は無言であなたを褒めてくれる努力の証なのだ。

 

 

4、公共的な目標を立てる

「目標を立てよう」とは、よく聞く方法論だ。私はそこに『公共的な』を付け足したい。『公共的な』とは、どんな意味なのか。

たとえば、習い事や部活動に参加していると、年に1度か2度、何かしらの大会が開かれるはずだ。誰かの目に晒されたり、競い合ったりする大会への出場を目標にする。これが公共的な目標だ。

これには2つの意味がある。
1、モチベーションが上がる
2、競争することで客観的に自分の実力が分かる

大会の出場が決まれば、今まで以上に緊張感が増し、真剣に取り組むようになる。当然、大会に出場すれば、良い成績を残す場合も、悪い成績を残す場合もある。成績のいかんによっては、喜んだり、悔しがったりするだろう。この感情の動きが刺激となって努力を続けていくための原動力となる。

また、大会に出場することで、今の自分の実力や相手との差が客観的にも体感的にも理解できる。自分に何が足りないのか、自分は何が得意なのかが見え、今後の努力にも役立つ。これは、成績云々より大きな意味がある。努力を改善できれば、さらに上達できるからだ。そのためにも、大会に出場する必要がある。

私は来年、星新一賞に応募しようと決めている。
小説を書き始めてまだ日は浅いが、自分の文章力を知る良い機会である。当然、賞を狙っている。賞を狙う理由は、そのほうが文章を書くことに身が入るからだ。たとえ成績が悪くても、それが自分の実力なのだと受け入れ、さらに今まで以上に努力の改善に努められる。

「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」の言葉を実践するためにも、大会に出場する必要がある。人よりも優れた成績が残せれば、それはモチベーションの維持に大いに役立つのだ。

 

 

5、報酬を得る

報酬とは、金銭か品物を指す。
今のあなたの努力が仕事に関与しているものであれば、この条件はすでにクリアしている。ここを読む必要はない。もし、仕事とは関係のない事柄を努力しているのであれば、先を読んでもらいたい。


仕事とは関係のない事柄で努力しているなら、少額でもいいからお金をもらおう。

理由は2つある。
1、お金をもらえば、続ける強い動機になる
2、お金をもらえば、責任が発生して真剣に取り組む

今の時代、読書すらお金になる。
書籍の批評ブログを立ち上げて、読んだ書籍を評価する。そこに、Amazonアフィリエイトのリンクを貼れば、ブログを訪問した人が書籍を購入した際、収入が入る。このようになれば、今まで以上に真剣に読むようになり、読む量も増えるだろう。読書の質と量が増し、報酬まで得られる。何か不満でもあるだろうか?

写真が趣味であれば、撮影した写真を『PIXTA』『Photolibrary』『iStockphoto』『Fotolia』などで販売すればいい(イラストも販売できる)。
今の時代、金にならないものを探すほうが難しい。

それに、人様からお金をもらうとなれば、身が引き締まる。責任が発生するので、今まで以上に真剣に取り組むようになる。真剣に取り組むようになれば、当然、上達速度が高まる。つまり、同じ努力でも効果がまるで違うのだ。

とても重要な話をする。よく聞いてほしい。
人は、実力が付いてからお金をもらおうと考える。それは間違いだ。実力が付いてから『趣味』⇒『仕事』とステージを上げるのではなく、『趣味』⇒『仕事』にステージを上げるから実力が付くのだ。ある一定レベルまで達したら、さっさと金をもらってしまえ。間違いなく、実力は上がる。

この話に批判する人は多いかもしれない。批判したい人は批判して構わない。この話を信じた人だけが、加速的に実力が付くのだ。

以上が、汎用的に使える『頑張らずに努力する5つの方法』だ。
取り入れられる方法があれば、ぜひ、取り入れてもらいたい。

 

 

最後に

努力を続けるために必要なのは、“楽しむ工夫”だ。
今回紹介した5つも、私が頑張らないために考えた“楽しむ工夫”だ。おそらく、分野によっては他の楽しみ方があるだろうし、自分ならではの楽しみ方を持っている人もいるだろう。

好きになれるかどうかは、その人の感性が大きく関与するが、楽しめるかどうかは、工夫次第でどうにでもなる。人が何かを楽しむのに、才能や感性は関係ないのだ。
努力を続けられないのは、精神力が弱いのではなく、楽しむ工夫が足りなかっただけであり、努力のやり方を間違えただけだ。

努力は耐えるものではない。創意工夫して楽しむものである。
ぜひ、あなたには努力を楽しんでもらいたい。それでは、努力を楽しんでくれ。