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斜め45度からの理説

どこにも転がっていない理論や方法論を語ります。

人生を彩る『美しさに気づく力』

今回は、『美しさに気づく力』をテーマに、色々語ろうと思う。
だからと言って、「美とは何か」「美しいとは何か」などという話をするつもりはない。その人がそれを「美しい」と感じたなら、それは美しいのだし、『美』なのだから。

今回着目したいのは、同じものを見て、美しいと思う人とそうでない人がいる点だ。その差はどこから来るのか。それが分かれば、今回のテーマである『美しさに気づく力』が見えてくる。そして、その力を身に付ければ、美しいと思える対象が増えてくるのだ。

なぜ今回、『美しさに気づく力』を取り上げたのか。
それは、美しさに気づく力があれば、低コストで人生を彩ることができるからだ。
でははじめに、私と『美しさに気づく力』との出会いからお話ししたい。ときは、16歳の頃にさかのぼる。

 

 

『美しさに気づく力』との出会い

私は高校を3ヶ月で中退した。
時間を持て余しているとき、絵を描きたいと衝動的に思い立った。実は、前々からアートには関心があり、アーティストへの憧れもあった。さっそく、デッサンの基本である写生から入ることにした。

3日後。私は飽きていた。写生にウンザリしており、「そっくりに描くぐらいなら、写真で撮ればいいじゃないか」と考えるようになっていた。すぐにカメラを購入して被写体を撮影。写真を見て「おぉ、やっぱり写真のほうがきれいだわ」と驚き、写生の苦痛から解放されたことに喜んだ。

さらに、パソコンの機能を使えば、写真データを元に、油絵やパステル絵、クレヨン絵などに変換できることを知り、「おぉ、これなら絵なんか描けなくても絵が描けるぜ」と鼻息を荒くしたのだった。その瞬間、私は悟った。自分はアーティストにはなれない、と。写真データを変換して絵にするなどアーティストの考えることではない。

私はアーティストになることをそこで諦めた。だが、手間をかけず一枚の絵が撮れる写真は私の性に合い、それからも趣味として写真を続けるようになった。これが後に『美しさに気づく力』との出会いのきっかけとなったのだ。

 

 

同じ世界を見ていて、同じ世界を見ていない

写真を趣味にしてから、写真雑誌をよく読む(見る)ようになった。
雑誌には、プロをはじめアマチュアが撮影した、壮大な風景や珍しい景色などの写真がいくつも掲載されている。それはそれで美しいのだが、私はそれらにはあまり関心がなかった。なぜなら、もしその風景に出くわしたなら私もシャッターを切っているからだ。

それらより、私の目を引くものがあった。何気ない街並みやどこにでも溢れている景色を撮影した写真だ。私は強く惹かれた。なぜなら、私はその被写体を撮ろうとすら思っていなかったからだ。撮影しようとも思わない被写体が、彼ら(撮影者)が撮った写真を通して見ると美しく見える。私は思った。「彼らは、私と同じ世界を見ているが、私と同じ世界を見ていない」と。

もう少し噛み砕いて言えば、『私と同じ世界(視覚認識)しているが、私と同じ世界(視点)で見ていない。私は何とも思わない風景が、彼らには美しいと見えているのだ』。彼らには、私には見えていない『美』が見えている。どうしてそう見えるのか。私は興味を持った。これが私と『美しさに気づく力』との最初の出会いとなった。

 

 

感性の専門家との出会い

それから数年、写真を精力的に撮影してた。
わざわざに特別な場所には行かず、身近な風景を撮るようにした。意識的にしていくと、何でもない風景でも美しく撮れるようになるものだ。だが、私はどこか納得していなかった。まだ腑に落ちる解には出合えていなかった。

写真の話題から少し反れるが、私は20歳の時マーケティングを学びたくて、2人の師匠を持った。一人は、小阪裕司氏。もう一人は、黒川伊保子氏。

小阪裕司氏は、芸大出身。感性を軸にしたマーケティングを得意としたコンサルタントだ。芸大時代、「なぜ人は美しいと感じるのか」を探求していたそうだ。一方、黒川伊保子氏は、元々人工知能の学者で、現在は男性脳女性脳と感性分析の専門家である。
両名とも、感性を専門としている。『美しさに気づく力』の解を、この二人の師匠から得ることになるとは、当時は想像だにしていなかった。

 

 

「美しい」と感じる差はどこから来るのか

人は何かを「欲しい」と思う理由の一つに、情緒的な動機がある。
「かわいい」「カッコイイ」「きれい」「美しい」など、デザイン性やスタイルなどが消費の一因となっている。車や時計、パソコンなど、情緒的な動機から消費をした経験は誰もが持っているだろう。では、その情緒的な動機、たとえば「美しい」と感じる気持ちは、どこから来るのか。結論を先に言ってしまえば、それは、感性から来る。

では、感性とは何なのか。
ここからが、本テーマの核となる話だ。

感性とは、持って生まれたものや男女差によって、どうしようもないものもあるが、そのほとんどは後天的に作られる。なぜなら、感性とは“情報”だからだ。

おそらく、ピンとくる人は少ないだろう。
実例を交えながら解説したい。

 

 

情報とは、ものの見方、捉え方

私は別ブログで、『万年筆』や『箸』の美について書いている。
それを読んだ人の中には、万年筆や漆箸を購入する人まで現れた。ここが非常に重要なポイントになるのだが、私のブログを読んだ直後、それまで欲しいとも思っていなかった万年筆や漆箸が欲しくなったのだ。一体、読む前と読んだ後では、何が変わり、消費に至るまでになったのか。ここに『美しさに気づく力』の解がある。それは、“情報”である。

私のブログに触れ、万年筆や漆箸の見方が変わったのだ。もう少し噛み砕いて言うと「万年筆は、こういう見方をすると美しいと感じるよ」という情報を入れたため、「あっ! 万年筆って、なんかカッコ良い! 美しい!」と認知するようになったのだ。

これが、『美しさに気づく力』を宿した瞬間であり、美しさに気づいた瞬間でもある。ここで私が言う“情報”とは、『ものの見方を教える情報』を指している。美しいものを美しいと捉える見方を得てしまえば、美しいものを美しいと捉えることができるのだ。

 

 

一度得た『美しさに気づく力』は二度と手放せない

ルビンの壺をご存知だろうか? おそらく多くの人が目にしたことがあるだろう。

 

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一見、ただの壺のように見えるが、見方を変えると二人の人間が向き合っているようにも見える。初めてこの絵に出会った瞬間は、多くの人は『壺』と認識する。しかし、「向き合っているようにも見えるよ」と教えられ、そのように見えた時、もう二度と、この絵が『壺』だけに見えることはなくなる。
美しさに気づいた場合もこれと同様のことが言える。一度得た『美しさに気づく力』は、もう二度と手放せないのだ。

 

 

情報一つで、世界が変わって見える

感性とは、情報である。つまり、美しいと感じるか否かは、美しいと感じる情報(見方)を知っているかどうかの違いなのだ。その情報を一度手に入れ、見方が増えれば、美しさに気づく。そして、その見方は生涯手放せない。

私のものの見方が増えた例として、レースの話をしよう。
女性が着るレースには、花柄が装飾されている。花には、それぞれに花言葉がある。クローバーであれば幸運を、カーネーションであれば母の愛を意味する。装飾されている花柄の花言葉も一緒に見れば、ファッションも違った楽しみ方が生まれる。

こういう情報を得てしまうと視点が一つ増え、そのような視点で見るようになる。女性がレースを纏っていれば、自然と「何の絵柄かな?」と思うようになってしまうのだ。

もう一つ例を紹介しよう。
当たり前と言われるかもしれないが、和菓子についても触れておきたい。
私も2年ほど前まで知らなかったのだが、和菓子の形や色は季節を表している。夏の和菓子は、夏の暑さを涼むため、水流や川底にのぞく小石などの水風景を表現したものが多い。それを知ってからは、和菓子を見る度、「何を表現しているのかな?」と観察するようになり、和菓子を目で愛でるようになった。

このように、視点を増やす情報を得ると、ものの見方が一つ増え、美を感じられるようになるのだ。

 

 

村上隆の憂鬱

いつどの局で放映したかは忘れたが、以前、村上隆氏がインタビューを受けている番組があった。村上隆氏の話が印象的だったため、紹介したい。

村上隆氏は、番組の中でこんな話をしていた。「自分は作品を売る際、作品について色々語るんですよ。どんな風に作ったのか、何が見どころなのか。作品についてちゃんと伝えれば、1億円が2億円になって売れるんです。でも、他のアーティストってそれを良しとしないんです。『俺の作品の良さが分かる奴だけ分かればいい』みたいな態度で、何も伝えないんですよ」。

他のアーティストが嫌がるのもなんとなく分かる。おそらく、作者が何かを伝えるという行為が、自ら自分の作品を売り込んでいるように感じ、カッコ悪く思うのだろう。

今まで私の話を聞いてきた人は、村上隆氏が言わんとしていることがお分かりだろう。村上隆氏は、『売り込め』と言いたいのではない。『美しいと感じる見方を伝えれば、美しく見えるようになり、その人の中で価値が高まる。そうすれば、結果的に高く売れる』と言いたかったのだ。付け加えて言えば、『作品の良さを理解してくれる人が増えることは、作者にとっても喜ばしいはず。なんで分からないのだろう』と。村上隆氏の想いが、番組を通じて垣間見えた。少なからず私にはそう読めた。

 

 

『美しさに気づく力』に似て非なるもの

村上隆氏の話から、もう一つ話をしたい。
それは、『美しさに気づく力』に似て非なるものについてだ。

村上隆氏は、番組の中でもう一つ面白い話をしてくれた。
それは、芸大にいた頃に覚えた違和感である。村上隆氏は、友人と2枚の絵を見て、「Bの絵が良いね」と言ったそうだ。それを聞いた友人は「何言ってんの? Aの絵が優れた絵なんだぜ。この絵は、○○が描いた絵なんだから」。その言葉に違和感を覚えた村上隆氏は、先生にも、どちらの絵が良いかを伺った。すると先生も、友人と同じ返答をしたのだ。「この絵は、○○が描いた絵だから、こちらのほうが優れている絵だよ」と。
村上隆氏は、誰が描いたかを評価の対象にしている有り様に、辟易したそうだ。

先ほどの経験もあって、村上隆は芸術(アート)の定義を「芸大を出ていること」としている。つまり、アートとは、誰が作った作品かが重要なのだと。揶揄しているようだが、村上隆の見たアートの現実である。

ここでは、村上隆と芸大の友人や先生の考え方のどちらが正しいのかという話は置いておく。大切なのは、『誰が作った作品か』という情報が『美しい』と感じる見方の一つになり得るかどうかという点だ。この疑問に解を与える実験があるので紹介したい。

 

 

嘘情報を与えたら、人はどう感じるのか

面白い実験がある。
高級ワインと安物ワインを用意し、AグループとBグループに飲ませる。Aグループには、正直に高級ワインと安物ワインであることを伝える。一方、Bグループには、高級ワインを安物ワイン、安物ワインを高級ワインと嘘の情報を伝える。

試飲させたところ、Aグループが高級ワインを飲んだ時、当然、快を感じるホルモンが分泌された。面白いのが安物ワインを高級ワインだと伝えられたBグループの反応だ。なんと、安物ワインを飲んだ反応が、Aグループの高級ワインを飲んだ反応と同じだったのだ。つまり人は、たとえそれが偽りでも、先入観を与えれば快を感じるのだ。

TV番組『開運! なんでも鑑定団』を見ていると、どこかの偉い作家が作った作品を大切に保管してたり観賞していたが実は偽物だった、なんてオチはよく目にするシーンだ。
本物だと信じ込んでいた時は、脳の中では『本物』であり、本物を観賞している時のそれと変わりはないのだ。

『美しさに気づく力』は、物の見方を教えて視点を増やしているが、先入観は視点を増やしているわけではない。「これはいいものだ」と思い込ませているだけなのだ。ただし、先ほども言ったように、気持ち良くなっていることには変わりはない。そのため、先入観でも気持ち良くなっているならば、それで良しとするか否かは個々の判断である。

 

 

先入観を与える情報は、日常に溢れている

先入観を与える情報はどこにでもあり、先入観で消費することも誰にでも起こる。
たとえば、価格で品質を評価するのも先入観であり、高額品志向の人は一定数いる。『高いものは良い物』という思い込みだ(もちろん、高いのには高いだけの理由があるが)。ちなみに私の母は、「高いものは良いものだ」と考えている人だ。松竹梅であれば、松を選ぶ人だ。

以前母が、「この湯飲み茶碗、5万円もしたのよ。ほら、ここにキリンの絵が描いてあるわよ」と、私に見せてきた。 そこに描いてあった絵は、キリンではなく鹿だった。呆れながら「鹿とキリンと間違えるほど、見る目がないなら買うなよ」と、注意したが、全く懲りていない。母は今でも満足そうにその湯飲み茶碗を使っている。

他にも例を挙げよう。
ウィスキーは熟成年数が長いほど良い品というのも先入観である。熟成年数10年には10年の良さがあり、17年には17年の良さがある。何が美味しいと感じるかは人の好みである。しかし、先入観があるとそうはいかない。


熟成年数の長いウィスキーのほうが美味しいのだと思い込んでしまうし、この味が分からないのは、自分が未熟だからとも思い込んでしまう。(後で話すが、場合によってはそういうこともある)。

先入観は時として、素直にものを見ることや感じることができなくさせ、自分の感覚を信じられなくしてしまう。また、得てして先入観による選択は、コストが高くつく場合が多い。ウィスキーの例で話したように、熟成させている年数が長ければ美味しいと思い込んでいれば、コストは倍以上になる(10年と30年では、10倍以上も価格が違う)。
先入観を持たずに評価したいのであれば、意識して情報を嗅ぎ分けるしかない。

 

 

情報を意識的に嗅ぎわける

先ほど、ウィスキーを美味しいと感じるかどうかを熟年年数とは本来関係ないと話をした。
私の好みで言えば、バランタインは12年より17年が美味しい。では、17年より21年のほうが美味しいかと言うと、17年のほうが美味しいと感じている。響は、17年より21年のほうが美味しいが、21年よりも12年のほうが美味しい。

飲み物の場合、銘柄、年数、価格、受賞歴などを気にしないで飲む。できれば、目隠しして飲みたいぐらいだ(余分な情報を出来るだけシャットアウトしたいからだ)。
うんちくを語る人もいるので、意識的にうんちくが先入観情報かどうかを振り分けるようにしている。

まとめると、情報には2種類ある。
見方を増やす情報と先入観を与える情報だ。

この事実を知っているだけで、先入観かどうかを客観的に見れるようになり、先入観を意識的に排除できるようになる。
これも、一つの『美しさに気づく力』なのだ。

 

 

感性は常に成長し続ける

ウィスキーは飲み続けるうちに好みが変わることもある。
飲み続けるという経験も脳からすれば情報であり、情報を積み重ねていくと、突然、今までで分からなかったものが分かるようになる瞬間がある。これは、別の分野でも同様のことが言える。
他の分野でも何かをし続けていくと、突然分かるようになる瞬間が訪れる。読まれている人の中には、「あぁ、わかる、わかる」と共感する人もいるだろう。

先に話した万年筆や漆箸の例のように、活字情報だけで新しい見方を見つけることもあれば、経験を蓄積しなければ、見い出せない見方もある。つまり、少しの情報だけで美しさに気づくこともあれば、経験という情報を積み重ねなければ気づけない美しさもあるのだ。

 

 

最後に

さて、話をまとめよう。
私たちが見ている世界は、人によって見えている世界が違う。その違いは『美しさに気づく力』にある。『美しさに気づく力』があれば、身の回りにある美しさに気づける。それは、人生に彩りを与える。

『美しさに気づく力』を得るには感性を養うことだ。感性とは情報である。物の見方を教えてくれる情報を得るだけで、身の回りにある美しさに気づけるようになる。私も意識的に情報を入れ、人生を彩っている。言い換えれば、『美しさに気づく力』とは“世界を美しくする”ことなのだと私は思う。

 

※こちらのブログ「暮らしの中にある美しさ」にて、美について書いています。