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斜め45度からの理説

どこにも転がっていない理論や方法論を語ります。

話の通じない馬鹿は、本当に馬鹿なのか

以前、Facebookを見ていたら興味深いブログ記事がシェアされていた。
内容を要約すると、「化粧品に使われている化学物質は安全である。なぜなら、厳密な検査を経て安全性が確認された物質だからだ。化学物質が危険で無添加が安全というのは誤りだ」と。

ブログ記事には、化学物質がどのような検査やプロセスを経て使用許可が降りるのかが詳細に書かれていた。私もそれを見て、これだけの厳重な安全検査をしているのだから、筆者が「安全だ」と主張するのも理解できると感じた。
たとえ、天然素材のみ使用した完全無添加の化粧品だとしても、配分量や摂取量を誤れば、肌や身体には害がある。塩や砂糖だって摂り過ぎれば死んでしまう。この事実を考慮すれば、天然素材と比較しても、化学物質の危険性は危惧するレベルではないのかもしれない。ブログの意見は、いたって正論だと思った。だが同時に、どんなに正論でも、無添加好きは納得しないだろうなと思った。

ブログ記事を読み、あることを思い出した。それは、とある企業が開発した、人の糞尿をろ過して飲料水を作る装置だ。飲んでは出して飲んでは出してを繰り返せる、画期的な装置だ。実に素晴らしい。だが、問題が起きた。誰もその水を飲みたがらないのだ。水質検査では、飲料水として適合している。飲んでも絶対に害はない。だが、飲まない。飲む気が起きない。

先の化粧品の話に戻ろう。
なぜ、無添加が好まれ、化学物質が嫌われるのか。それは、「感情(気分)」の問題だからだ。無添加を好む人は、化学物質に対して、理屈ではない感情的な嫌悪感を抱いている。「だって、自然界にはない物なんでしょ。なら、なんとなく危なそうじゃん」と。この“何となく”という感情(気分)を理屈では払拭できない。ここを分かっていない人が非常に多い。頭のいい人は、理屈だけで物事を考えてしまい、人の感情を考慮しない。そのため、現実との乖離が起きる。最後は「正論の分からない馬鹿どもが」となる。実は、このような齟齬は頻繁に起きている。

 
たとえば、安保法案もそうだ。
安倍総理がTV番組でいくら安保法案を説明しても、「分かりにくい」「大事な部分を語っていない」などと批判する人は必ずいる。一方、安部総理を擁護する人たちは、「いや、分かりやすいだろ」「分からないほうが馬鹿だ」と反対派を罵る。
 
これも、「感情」で起きている齟齬なのだ。
安倍総理を批判する人たちの多くは、そもそも安倍総理を信用していないし、納得する気もない。
想像して欲しい。まったく信用するに値しない人から、論理的に何かを説かれたとして、あなたはその人の話を信じるだろうか。まず信じない。つまり、論理的かどうかの問題ではなく、そもそもその人の話を信じる気がないのだ。そこから先は、先入観が成せる業が起きる。「どうせ嘘を言っている」「どうせ都合の悪いことは言わないのだろう」「論理的に破たんしているに違いない」などと解釈をする。安倍総理の件でもまったく同じ現象が起きている。

誤解しないでほしいのは、安倍総理反対派は感情的になっている理屈の通じない馬鹿な人たちと言いたいのではない。感情的になっているのは、擁護派も同じである。それに、信用を失っているのは完全に安倍総理の落ち度だ。どちらが正しいとかではなく、人は論理より感情で納得する生き物であり、感情で判断して動いている、ということだ。

理解を深めるため、ほかの例をいくつか紹介しよう。
たとえば、食品偽造問題。偽造の事実が明るみになるたび、「食の安全が脅かされた」とマスコミなどは騒ぎ立てるが、それまで消費者は、その食品に対して安心してきっており、購入して食べていたのだ。人は、安全だから安心するのではない。安心という感情が先で、安全という論理(事実や根拠)は後なのだ。

以前ニュースで取り上げられた、大阪リッツカールトンホテルがフレッシュジュースと謳い市販のジュースをお客に提供していた例もこれに類する。お客は一級品のジュースを飲んでいる気分のため、誰も市販のジュースとは気づかなかったのだ。お客の中には「やっぱり、リッツのジュースは違うね!」と言っていた人もいただろう。

さらにもう一つ例を挙げよう。白骨温泉の湯に入浴剤を使っていた事実が明るみになったことがある。明るみになる前までは、温泉に浸かったお客の中には、「やっぱり、白骨の天然温泉は身体に沁みて最高だわ~」と言っていた人もいただろう。その人にとって、その瞬間感じた「最高だわ~」は事実であり、嘘ではない。それだけ感情と言うのは、五感も論理性も客観性も鈍らせるのだ。

人は「感情」の奴隷だ。多くの人は、それに気づいていない。
もし、話の通じない人がいるとしたら、それは「馬鹿」なのではなく、感情がその人の思考に大きな影響を与えていると考えるべきだ。その人がどんな「感情」を抱いているのかを探り、それを理解しようとする姿勢が対話では最も大切なのだ。論理は二の次である。そして、忘れてはならない。自分も感情に支配されている一人であるということを。

 

 

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