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斜め45度からの理説

どこにも転がっていない理論や方法論を語ります。

一人二役の時代が足音を立ててやってきた

ビジネス

つい最近まで、一人の男がネットを賑わしていた。キングコング西野である。西野氏は、自身の絵本をWEB上で無料公開したのだが、それが他のクリエイターに悪影響を及ぼすといった批判が多方から飛び交った。批判している人たちの中には、何かしらの形でクリエイティブな仕事に関わっている人もいたはずだ。

本件を見ていて、一人のアーティストを思い出した。村上隆氏である。彼もまた、アーティストから非難されている一人だ。

私は森美術館で開催された『村上隆の五百羅漢図展』に足を運んだことがある。他の作品展と違うのは、写真撮影が許されていたことだ。皆、スマホのシャッター音を鳴らしながら作品を観賞していた。撮影を許しているのは、おそらくSNSでの拡散を狙ってのことだろう。村上氏もまた、自身の作品を広めるための施策に余念がなかった。

いつからか私たちは、芸術家や職人といったアーティストやクリエイターに対して、「売り方に無頓着」「作家は商売っ気が無い」といった固定観念を抱くようになった。いや、これは、固定観念ではないだろう。事実、そうした人は多い。また、創作者が自身の作品に価値を付けて売り込む姿は、どことなく無粋に見えてしまう。

創作者は作品を作り、別の人間が作品を売るのが通例であるし、そのほうが上手く行くことが多い。ジブリの宮崎駿氏と鈴木敏夫氏がいい例だろう。「餅は餅屋」のことわざ通り、「作る」と「売る」を分けている人、分けるものだと思っている人は少なくないはずだ。

そうした中、創作者と商人が混在している西野氏と村上氏は、やはり毛色が違って見える。稀な人間の姿に、得も言えぬ不快感や違和感を抱く人がいても、それは無理からぬことだ。

本記事では、彼らの売り方について言及するつもりはない。今回取り上げたいのは、「一人二役」の部分である。西野氏と村上氏のように、一見、相反するような特質を一人の中に混在させているのは希有な事例であるが、一人の人間が二つ以上の役割を担うことは、これからの時代に必要だと私は考えている。

これからの時代に必要となる理由の一つに、人工知能の躍進がある。ご存知の通り、人工知能の技術革新はここ近年目覚ましい発展を遂げており、20年後には今ある職の半分近くがとって代わられると予想されている。ただ、人工知能にも一つだけ、弱点(特異点)が存在する。それは、人工知能はある特定の分野に特化して開発される点である。たとえば、将棋なら将棋専用の人工知能、翻訳なら翻訳専用の人工知能、自動運転なら運転専用の人工知能といったふうに。将棋の人工知能に「あの美女を落とすための好手を教えてくれ」と言っても、無理な相談なのだ。

人工知能の一つひとつは、特定の分野に特化して作られる。つまり、人工知能が参入してくる技術だけを有している人間は、あっという間に仕事を奪われるというわけだ。そこで、一人二役の考え方が役立つ。

たとえば、フランス語が堪能で経理処理もできる人材がいたら、フランスに本社や支店、あるいはクライアントがいる企業には重宝されるだろう。このように、専門性や役割が一つだけではなく、二つ以上にまたがっている場合、その人の価値には希少性があり、代えがききにくくなる。

西野氏の売り方や発言の是非よりも、創作者と商人が混在している事象のほうが面白く、示唆に富んでいる。彼は「こういう売り方もあるよ」を提示しただけではなく、「こういう在り方もあるよ」も一緒に提示したように私は思うのだ。

昨今、大手企業が副業を認めるようになり、クラウドソーシングも台頭し、働き方が多様化してきた。これに伴い、個の能力も多様化してくるのではないかと思っている。いや、そうしなければ、生き残れない時代に入っているのだ。

今回の騒ぎを見て「売り方」や「言動」にフォーカスするのではなく、新しい時代の「成功例」だと捉えてみてはいかがだろうか。そのほうが学べることが多いと私は思う。

 

 

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